タクシードライバーの仕事がどんなものなのか、日々の出来事を中心にお伝えします!

子供の頃から原辰徳ファン!

選手としての原辰徳!

原監督がジャイアンツに復帰されたので、なぜ原辰徳はファンなのかを、ちょっと書いてみよう。

うろ覚えではあるが、小学校4,5年の時には、名前を知ってファンにファンになっていた。

原監督と自分はちょうど10歳、歳が違うのだが、 小学校の時から好きな人である。東海大相模高校から東海大へと進み、 1980年のプロ野球ドラフト会議で、4球団の競合の末、藤田元司監督が一番くじを引き当て巨人軍に入団した。あの時の光景はなぜか今も覚えている。自分自身も何故か嬉しかった。

1981年の開幕戦に、6番セカンドで先発出場し、中日、牛島和彦投手からプロ初安打を打つ。その翌日には、 エース 小松辰雄から、ライトスタンドにプロ初本塁打を放ったのを覚えている。

そのシーズン途中で、3塁のレギュラーであった中畑さんの故障で、元々のポジションのサードに着くようになった。

それからは順調に成績も伸びていったが、1986年に悲劇が起こる。

広島津田投手との対決!

この年は、初のホームラン王が視界に入るぐらいの調子の良さでホームランを量産していた。しかし、あの出来事が起こる 。 広島カープのストッパー、津田恒実選手が投げた直球を全力で打ちにに行ってファールになった後、顔をしかめながら蹲り、一人で手首を気にしていた。その時点で交代した。

診断結果は、左手首の有鉤骨の骨折。その年のシーズンは欠場した。

最近テレビで知ったことだが、「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わりました」と、 言われていたことで、それほどの影響があったのだなと思いました。

近鉄バファローズとの日本シリーズ!

その骨折から3年後。ジャイアンツがセリーグを制覇し、いよいよ日本シリーズ。 仰木監督率いる、近鉄バファローズとの日本シリーズが始まった。

日本シリーズ開幕から3連敗、原選手自身も、 18打席連続無安打と極度のスランプに陥る。第3戦目に先発した近鉄の加藤投手からは、ジャイアンツよりも、パリーグ最下位のロッテの方が強いと言われる発言まで飛び出した。

1989年日本シリーズ第4戦は、なんとか勝って迎えた第5戦、 原選手の前を打つクロマティ選手が敬遠され、満塁で不振の原選手勝負となった。追い込まれたながらも、シリーズ初ヒットとなる、起死回生の満塁ホームランを放ち 、それから流れが変わり4勝3敗で日本一になった。

それ以降は怪我との戦いだった!

1990年には開幕戦で脇腹を痛め、 1992年に一塁にコンバート、 アキレス腱痛などもあり、翌1993年にはサードに復帰したが、 いくつかの故障に悩まされ打撃不振に陥り、プロ野球入り以来初めて、規定打席に到達できなかった。そしてこの年のオフに中日から落合博満がフリーエージェントで巨人に入団した。

1994年には左足のアキレス腱を部分断裂し開幕一軍は叶わなかった。度重なる怪我と、主砲落合の入団、この年に日本一にはなったが、翌1995年シーズンを最後に現役を引退した。

現役最後の東京ドーム!

1995年10月8日、パラ選手の引退試合が東京ドームで行われた。四番サードでスタメン出場、広島の紀藤投手から、ストレートを左中間スタンドへホームラン。 現役最後の382本目のホームランを打った。

現役最終打席の大野投手との対戦では、レフトフライに倒れた。大野投手は、原選手に打たせに行ったようだが 、おそらく原選手が打ち損じたのだろうと思う。

晩年の自分の使われ方への不満や、度重なる怪我への苛立ち、他球団からの誘いなどもあったようだが、ジャイアンツ一筋で終われたのは幸せだと思うし、監督になってからの結果なども見ると正解だったと思う。

もう選手としては見れないが、また監督として帰ってきてくれたので頑張って応援しよう!

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